男性の育児休業取得は世間的にはまだまだ認知度も許容度も低そうな状態ですが、育児問題の大変さが各種メディアに取り上げられるようになり、時短グッズを中心とした育児ソリューションが増えてきたように感じます。
ホットクックや液体ミルクのような有形のものだけでなく、待機児童向けのシッター助成のような無形のものも話題に上がっています。2019年はこの勢いのまま育児ソリューションが続々と登場する年になるのではないか、と勝手に期待しています。
とはいえどんなに時短や外注が進んだとしても「育児に決定的に関わるのは親である」という現状が傾くことはないでしょう。
保育園にしても、入園できるのはある程度の月齢になってからという園がほとんどですし、4月タイミングが入園しやすいという実情もありますし、共稼ぎ世帯においても0歳児の保育のために親が長期の育児休業を取得するのが現在の多数派のように思います。その他様々な理由が重なって、育児休業は日本における乳幼児育児の中心的な仕組みとなっていると言っても過言ではないでしょう。
さて、そんな育児休業ですが、取得するパターンは主に、①夫だけが取得する、②妻だけが取得する、③夫婦そろって取得する、の3つがあります。
(細かい話を言うと、③については夫婦同時に取得する場合と、妻が取得した後に夫が取得する場合、夫が取得した後に妻が取得する場合など、順序の違いでいくつかに分類できますが、その違いの議論は昔の投稿「来たる妻のワンオペ育児に向けて今からできることを考えてみた」にて書いたので、ここでは割愛します。)
①~③のどのパターンでいくかを考えるうえでは、前回の投稿「育児における希望と現実、家族の幸せと変わりゆく思いという4つの論点」にて、夫婦お互いの個人的な希望をぶつけつつ、最終的には現実を見ながら考えると良いよ!という話を書きました。
(とくに、希望、大事です。育休を取りたい男性もいれば、取りたくない男性もいて、育休を取りたい女性もいれば、取りたくない女性もいるわけです。全員が育休を取るべきだなんて暴論に従うのではなく、夫婦で本音で希望を言い合って話し合うことが有効な初手になります。ただし、本音で話し合うことができなくなっていることに悩む人も少なからず存在しており、育児問題解決の難しさを底上げしているように感じます。。)
また、我が家が③のパターンを選んだ理由は最初の投稿「長女の誕生にあたって半年間の育児休業をとることにしたので、育児課題について考えてみた」にて既に書きました。なので、今回は③を敢えて候補から外し、①と②のどちらかを選ぶことを前提にしたとき、どう選ぶべきかを想像しながら考えてみたいと思います。
特定の手段を理想と称して押し付けるのではなく、あくまで一つの手段として良いところと悪いところを並べた上で、『どんな状況なら良いところが強く出るから推奨で、どんな状況なら悪いところが強く出るから非推奨なのか』を考える過程を共有することで、これを読んだ人が自らの状況に当てはめて考える一助となれば、幸いです。
・・・もちろん「夫婦の収入を比較して安い方が休む」のような1つの視点から短期的かつ短絡的に結論を出すのは合理性に欠けるので、総合的に検証してみたいと思います。
★注意★
育児は人それぞれです。100の家庭があれば100の事情があり、100の育児があって然るべきものです。たった1つのあるべき姿なんて存在しません。人の意見を鵜呑みにするのは危険ですし、逆に安易に強要してよいものでもありません。自らが、家庭環境と子供の状況を見定めたうえで、子供とどう成長していきたいかを考え、これだと思う方法に思い切ってチャレンジしつつもダメそうなら変えていくトライアンドエラーの姿勢が大切だと思います。なのでこの投稿も、鵜呑みにしないでください。
「夫婦どちらが育休を取得するか考えて決める」という帰結にたどり着くのはどういうパターンがあるでしょうか。想像するに、
の3パターンがあると思いました。なので長丁場にはなりますが、パターンごとに検証してみたいです。
やはり、とにもかくにも夫婦個人の希望が叶うことが家庭の幸せへの最短ルートでしょう。1の場合は、お互いの希望だけで納得し合えるだけの素地があるので、一見問題はないようにみえます。実際にも問題ない場合が多いように思いますが、1つだけ留意するべき点があるように思います。「育休希望している側の親は、家事ができる人間なのだろうか?」という点です。
家事スキルが育児スキルと大きく相関していることは、この場で改めて議論をする必要のないぐらい周知の事実でしょう。もし育休を希望する側の親が『現状家事ができない/したことがない』場合、一度踏みとどまり、将来をイメージして考えを巡らすべきのように思います。
・・・ここでの第一の論点は、『家事を夫婦間でどう分担するか』、です。2019年3月現在の日本の社会通念としては、育休を取得する側の親が家事の『全て』ないし『多く』を担当することが多いように感じます。その前提で言うと、現時点で家事ができないのであれば、家事スキルの大きな成長を期待し、パートナーを信じる必要が出てきます。パートナーの成長を信じることができるのであれば、自信をもって一歩を踏み出してよいと思います。
しかし、想像してみましょう。全く家事ができるようにならず、外働きから帰ってくると毎日家が惨状となっており、一緒にいるときに危険な所作が散見されて何だか育児の質も疑わしく・・・みたいなシナリオだけは避けないといけないので、成長を期待するにしても覚悟を伴う意思決定である点は留意すべきであるように思います。
一方で、社会通念の前提を取り払うこともできます。つまり、外働きする側の親が家事の『全て』ないし『多く』を担うこともできます。この場合、外働きする側の親には家事と外働きのバランス調整という比較的高度な責任が発生しますが、育児における諸問題も一緒に解決できる可能性があります。
というのも、外働きの負荷をコントロールできる前提で、毎日一定量の負荷がかかる家事を外働きする側の親が担うことで、負荷変動が激しくピークリスクが高くなりがちな育児を家事から分断し、育児専業のリスクを緩和できるからです。
実際、今の我が家は妻が育休を継続して育児専業しつつ、育休から早々に復職して外働き中の私が『朝家事』と称して毎日の家庭運営に最低限必要な家事(部屋の整理整頓、食器洗い、洗濯、ゴミ出し、風呂洗い、朝ごはん作り等)をこなすことで、妻は育児が大変であれば日中は家事をしなくてもギリギリ生活できるようにしています。もちろん妻は家事のできる人ですし、余裕があるときは日中に家事をしていますが、「やらなくても良い」という状況は精神的にも重荷が減っているはずです。「意外とこの分担もありだな」というのが『朝家事』を3ヶ月ほど継続している現在の感触です。
そのため、第一の論点についてまとめると、「夫婦間で家事の分担を具体的にイメージするべき。分担具合は自由だが、育休取得する側の親に多くを期待したいのに経験が伴わない場合に限っては、成長を信じられるかどうかが鍵となる」といったところだと思います。
なお、第一の論点で「パートナーの家事成長があまり期待できず、パートナーが育休を取るとしたら自分が多少無理して家事をほとんど全てこなしつつ外働きに勤しまざるを得ない」となって困ったときに、第二の論点が出てきます。第二の論点は、『パートナーの育休に賛成する場合と反対する場合とを比較して、どちらが幸せか?』です。
これに事前に答えを出すのは非常に難しいのですが、どういうことかと言うと、「そもそも家事ができないパートナーが育休を取らずに外働きし続けると、家事どころか育児に全く貢献しない人になってしまうリスクがある」という難題がありまして、それと比べれば少なくとも育児には貢献してもらえるようになる分、育休を取ってもらう方がマシかもしれない、という話なのです。
第二の論点においても結局はパートナーをある程度は信じることが必須なわけですが、パレート最適ではないナッシュ均衡感が強い分、なかなか育児領域における意思決定の難しさを感じさせてくれます。
色々書きはしましたが、お互いの希望だけで納得し合えるだけの素地があるわけなので、余程のことが無い限りは『希望通り』でよいでしょう、というのが二つの論点から見えてくることです。
本投稿の本題はこれです。夫婦お互いが外働きのキャリア継続を望み、お互いがパートナーに育児休業を求めるパターンです。男女の労働条件が真の平等に向かっていけば、夫婦同時取得が増えていくのと同様に、この2のパターンも増えていくと思われます。
この場合、冒頭の「夫婦の収入を比較して安い方が休む」という議論を展開すると、夫婦の絆に亀裂が生じるだけでなく、短期的にも中長期的にも合理的でない意思決定となる可能性があります。それだけ論点が複雑であるため、順に紐解いて論じていきます。
A.家事ができるかどうか
B.寝入りが良いかどうか
C.残体力の見極めが得意かどうか
D.うまく復職できる職場・職位かどうか
E.人に仕事を教えた経験があるかどうか
F.ジェネラリストが尊ばれる職場かどうか
G.転職できるかどうか
H.物理的出社が不要なキャリアかどうか
まず、『A.家事ができるかどうか』です。『パターン1.夫婦お互いの希望が通る場合』で既に議論したように、家事ができるかどうか、ないし家事ができるようになるかは重要な論点です。今まで家事をしてこなかった人でも頑張ればできるようになる場合がほとんどなので、Aはクリティカルな論点にならないことが多いのですが、中にはどんなに頑張っても絶対的に家事ができない人が存在します。
「絶対的に家事ができない」かどうかを判断すること自体にも困難が伴うのは難点ですが、そういった人が家事はできずとも外働きでお金を稼げるのであれば、その人は外働きに専念し、パートナーが育児休業を取得することが夫婦の最適分担になる可能性が出てきます。
逆に、家事が絶対的にできない人が育児専業することで、その人自体も辛いうえに育児を頼むパートナーも辛くなり、下手すると子供が劣悪な環境に置かれるリスクが予想されるとすれば、なおさら避けるべきであると感じます。
・・・事前の判断が難しいのが玉に瑕なのですけどね。。
次に、『B.寝入りが良いかどうか』です。これは意外と考慮されない論点のように感じますし、これまた判断が難しい論点ではあるのですが、育児適正という観点からは非常に重要だと思います。
乳幼児の育児では夜勤(子供の夜泣き対応)が必ず発生します。片方が外働き、もう片方が育児休業という場合も漏れなく夜勤をどうするか問題を考えないといけないわけですが、外働き組が夜勤を担当することは大きなリスクを伴います。
というのも、子供がいなかった時を思い起こしてみると、週5で日中全力で外働き仕事をするには、6~9時間程度の安定した睡眠が不可欠だったはずです。夜勤はその睡眠時間が半分になる事態が頻発することを考えると、限られた時間で安定した成果を求められる外働きとの相性は悪いと言わざるを得ません。
一方の育児休業中であれば、夜勤であまり寝れなかったとしても、昼寝時間を多めに確保したり、家事育児を省エネモードにして切り抜けるといった調整が可能です。もちろん夜勤が辛いことには変わりないですが、日中で調整ができる点は外働きに勝るメリットです。
そのため、「育児休業中の親が夜勤を担当する」というのは世間でも比較的一般的な分担となっているように思いますが、ここで寝入りの問題が出てきます。夜勤中は子供の泣き状況に応じて定期的に起こされるため、スムーズにいっても3時間~4時間単位、ひどいときには30分~1時間半単位で起こされます。寝入りが良い場合はこれら隙間時間がそのまま睡眠時間に変わるのでまだ救われますが、寝入りが悪いと一回起こされるたびに寝るまで数十分かかる・・・というデメリットがあります。
我が家の場合、私は寝入りが圧倒的に良い一方で、妻は一度起きると寝るまで30分~1時間かかることが多いです。例えば、とある日に私が夜勤した例では、0分+1時間+1時間30分+3時間+2時間=7時間30分の睡眠でした。これが妻の場合で寝入るのに毎回40分かかるとすると、0分+20分+50分+2時間20分+1時間20分=4時間50分になります。私の場合は細切れとはいえ比較的十分に睡眠をとれますが、妻の場合はショートスリーパーでもなければ完全にアウトな領域です。
このように『寝入りが良いかどうか』は『夜勤に耐えられるかどうか』に直結するため、育休を取る側の親が夜勤担当となる前提では、『寝入りが良い方が育休を取る方が家庭は上手く回る』という結論が導き出されます。正直、寝入りの良さだけでどちらが育休を取るか決めた人に会ったことはないですし、「君の方が寝入りが良いのだから育休取ってよ」的な発言をどう繰り出すかの難しさはありますが、Twitter育児界では寝入りの良さの違いによる深刻さを報告する呟きが散見されるので、是非とも考慮したい点ではあります。
寝入りの良さと似た育児適正の論点として、『C.残体力の見極めが得意かどうか』を挙げたいと思います。これは、一人で育児専業するという甚だブラックな環境を生き残れるかどうかを考えるうえで非常に重要な論点で、部分的には仕事人としての志向性も関係してくる論点でもあります。
夫婦どちらかが育休を取る場合、ほとんどの場合は日中一人で子供に向かうことになります。夜はパートナーが横にいるかもしれませんが、前述のように夜勤には一人で立ち向かうことが多いはずです。そして家の中に子供とだけで過ごす時間が圧倒的に長いため、その場は他の誰もが見知らない密室になりがちです。
育児の負担は、即効性はありません。即死性もありません。日々、一つ一つの思考と作業を通じて、徐々に心と体に負担が積み重なっていき、見えない限界を超えた瞬間に取り返しのつかない問題となって現れます。例えば、
「まだ大丈夫、と思っていたら、限界を超えてちゃって。。」
「こんなに大変だと思わなかったから、ヘルプを頼めなかったんだよ。。」
「突然やることが増えて、頭の中が真っ白になって何が何だか分からなくなった。。」
みたいなことが往々にして発生します。通常の職場であれば、労働時間が管理されることで限界を超えられないようになっていたり、上長が手を回して負荷を調整してくれていたり、隣の同僚が声をかけてくれて助け船を出してくれたり・・・こういった定型・非定型の仕組みによって、この手のトラブルは防止されうるようになっています。(100%防止できるわけでは全くないけれど…)
一方の家庭、とりわけ核家族の家庭では、大人は二人だけです。自分以外の大人はパートナーしかいません。一人が育休で育児専業、パートナーが外働きに専念していると、パートナーが自律的に気付いてくれるのは相当難しいでしょう。(これができるとしたら、相当の組織マネジメント能力を持っている方です。)
この家庭という過酷な労働環境においては、自らの残体力を見極め、近い将来に横たわるリスクを予測し、自分が限界を迎える前に適切にアラートを上げ、ヘルプを求める能力が極めて有効です。もちろんそのヘルプ要請に応えられる広い意味でのリソース手配も必須となる話ではありますが、とにもかくにも『自分で気付ける』ことの育児適正は考慮されるべきだと思うのです。
なおこの能力は、自律的な働き方を求められる職場で磨けるもので、よく言えば裁量の大きな職場、悪く言えば自己責任の職場で身に付きやすいです。同じ大学で学んで同じ業界の会社に入社した新卒社員が、職場の働き方の違いだけで『残体力の見極め力』に天と地ほどの差がつくわけです。夫婦の間でも差ができやすく、その意味でも無視できない要素となっているように思います。
次は話変わって職場の論点、『D.うまく復職できる職場・職位かどうか』です。「復職できなければ法律違反なのだから、復職できるのは当然だろ!」という言葉が飛んできそうですが、そういうことではありません。育児休業という職場を離れる期間(そして復職後には残業や休日勤務や出張がしにくくなるであろう変化)を経てなお、順調にキャリアを積み重ね、給与や賞与を増やしていける職場・職位かどうかという話です。
職場によっては、育休明けだからと比較的重要度の低いプロジェクトを宛がわれるようになったり、残業できないからと残業の発生しない部署(たいていは日陰部署)に異動になったりして社内で存在価値を大きく出せなくなったり、はたまた残業しなくていいように取り計らってくれても『他のバリバリ残業する社員』に成果で水をあけられて結果的に昇進に響いたり・・・など、中途半端な配慮が逆差別的に機能してしまう職場が存在します。
こういった職場では、勤労の継続はできるけれど、キャリアを積み重ねられず、給与や賞与を増やしていくことが厳しくなっていきます。場合によっては、複合的な要因が重なって退職となることもあると思います。そのため、結果として、一人の人間として生涯収入が大きく下がるリスクがあるのです。
ここで考えなければならないのは、この生涯収入の大小が、冒頭で掲げた「夫婦の収入を比較して安い方が休む」に見られるような『今の収入の大小』よりも人生において遥かにインパクトが大きい点であり、かつ、この生涯収入が大きく下がるリスクは収入が少ない人の方、つまりは社会的に立場の弱い人の方が危険にさらされやすい点です。
何が起こるかと言うと、「夫婦の収入を比較して安い方が休む」と安易に決断すると、休んだ方が復職後のキャリアアップに失敗し、世帯収入が片親頼りという不安定な状況に直面するリスクが高まるのです。
今の収入、生涯収入・・・、複雑すぎて、どちらを優先したらよいのやらと袋小路に陥ってしまいそうですが、育休とはそれだけ先を考えながら決断すべきほどに重要なテーマである、というのがこの論点が間接的に示唆するところのように思います。
そしてこの職場・職位の復職しやすさに付随する論点として、『E.人に仕事を教えた経験があるかどうか』も考えておきたいところです。晩婚化が進んだとはいえ、育休取得を考える世帯は平均的には30歳前後であり、若い人では20代半ばです。仕事人としてある程度の経験を持った人が大半と思われますが、人、とりわけ後輩に仕事を教えた経験があるかどうかで考えると、「教えた経験はまだない…」や「教えられるほど自信はない…」という人は意外と多いのではないか、というのが私の仮説です。
育休は労働者(被雇用者)の権利であり、誰しもが差別されずに権利を行使できるというのが法律の認めるところですが、復職したあと実際にキャリアが上手くいくかどうかは、『職場の足手まといにはならない程度のスキルや経験を有している』というのが思った以上に重要であるように思います。『ワーク』がままならずに不安定な状態では、『ワークライフバランス』を自律的にコントロールすることは不可能に近いからです。
そしてここで考えるべきは、「そのスキルや経験とは何か?」という捉えどころのない疑問です。もちろん「一人前になったらだよ!」などと言っても「一人前とはなんぞや?」という禅問答が続くだけなので、具体的で検証可能で一般的な行動として表現できることが好ましいです。
武道で言うところの『守破離』という言葉を借りると、
- 守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
- 破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
- 離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
(※Wikipediaより引用)
仕事の成長も、このような流れを踏むと思いまして、この『守』ができるようになるというのが、復職後のキャリアをコントロールするための前提にふさわしいように感じます。そして、この『守』ができるという自信を確認するには、「自分の仕事の仕方を第三者に言葉と実践を以て説明する」という行動であれば、具体的で検証可能で一般的な行動として有効なように感じるのです。
「自分の仕事の仕方を第三者に言葉と実践を以て説明する」というのは、今まで自分が学んで実践してきた仕事の仕方を今一度振り返り、消化して、第三者が理解できるように言葉に紡ぎ、反応を見ながら試行錯誤を進めていく過程を伴います。「アウトプットこそが最大のインプットである」とはよく言われることですが、やはり『人に教える』ことが自己成長に寄与するところは非常に大きいでしょう。
具体的に考えてみると、大卒の22歳で働き始めれば、職場や職位にもよりますがおよそ2~5年ぐらい、つまり24~27歳ぐらいで人に教える経験を持つことが多いように感じます。ただ、様々な理由により働き始めが遅かったり、下積み期間が長い職場であった場合には、育休を考え始めたけれど気が付いたら『教える機会』を持てていなかった・・・ということが往々にして起こるように思います。
『教える機会』を持てず、『守』に自信が持てていない場合は、今は職場で働くことにしがみついた方が中長期的に有利になると思われます。パートナーが既に『守』に自信を持てているのであれば、パートナーが育休を取得する方が家庭がうまく回るような気がします。さらには、「将来的な育休取得を考えるのであれば、この『教える機会』を持つことが、早々にクリアすべきキャリア課題である」というのが、この論点の示唆するところのように思います。
(とはいえ人によっては就職間もないタイミングで自分ないしパートナーが妊娠・出産を迎える場合は絶対にありますし、実態として不利になりがちな彼ら彼女らをどう支えていくかは、日本社会が優先して考えるべき論点だと感じます。)
同じく職場・職位の復職しやすさに関連する論点として、『F.ジェネラリストが尊ばれる職場かどうか』があります。誤解のなきように『ジェネラリスト』のここでの定義を述べると、『特定の領域で高度なスキルや経験を持ちつつ、その他の領域にも見識があり、立場や背景の異なる人たちの橋渡しができる人間』という意味です。
現在のビジネス社会において、テクノロジーや専門知識が高度化して様々な消費者ニーズが充足され、様々な社会問題が解決されていく中で、残されたものは単独の領域だけでは解決できないテーマが目立つようになりました。そのため、領域を横断して知見を合わせて対処していくことが重要になってきたわけですが、テクノロジーや専門知識の高度化の中で、別領域の人たちの協働が逆に難しくなってきたように思います。
高度に分業化された別の職種や業界にいたために、今まで学んできたことも違えば、使ってきた言葉も違うため、お互いが相手のコミュニケーションの前提に合わせていく必要性が強くなってきています。何ができるのか、何を組織に求められているのか、何を成し遂げたいのか、何にこだわりを持つのか、何を嫌うのか・・・、あらゆる志向性が異なるであろう相手との協働は、いつものハタラキカタとは別の困難さが伴います。
そういった困難な現場を橋渡しする人間という意味での『ジェネラリスト』としてビジネスで価値を発揮するには、複数の立場を経験して理解していること、そして未経験の立場を推し量れることが非常に重要です。育児休業はこの両方のスキルを伸ばすのに大いに役立つため、ジェネラリストが尊ばれるような職場であれば、育児休業自体によって大きくキャリアアップすることが可能なのです。
なお、こういった橋渡しを実際にこなすには『特定の領域で高度なスキルや経験を持ちつつ』という前提が往々にして必要であるため、育児休業を取るまでに社会人としてそれなりのキャリアを積んでいる必要があります。ただ、このパターンは一見するとネガティブ要素であるはずの育児休業がポジティブ要素に反転するという画期的なパターンであるため、ここに該当する人は積極的に育休を取ることを推奨したいところです。
(逆に言うと、常に最先端を追いかけていたり、日々の反復的な作業によって感覚を維持したりするようなスペシャリスト的職業は、仕事を離れることがスキルダウンに直結してしまうため、育休との相性が悪いと言わざるを得ません。こういった職業の場合は、まとまった長期の育休よりも、時短勤務や週4正社員とか、週ごとに勤労と育児を切り替えたりのような、断続的な働き方の方が相性が良いと思われます。)
そして『最後の手段』的な論点として、『G.転職できるかどうか』があります。残念ながら、実際にうまく復職できるのか、ジェネラリスト的な働き方が尊ばれるのか、といった要素にはどこまでいっても不確定さが付きまといます。いざ復職してみたら駄目だった・・・ということもありえなくはありません。
「生涯収入を夫婦二人で最大化する」ということを考えた時、一社が駄目であれば別の場所で速やかに再起できるかどうかが重要になってきます。その点では、転職してキャリア継続を期待できるかどうか、というのが最後の砦として大きな意味を持ってきます。転職しやすい親の方が育休を取得することで、いざというときでもキャリアや生涯収入が落ち込むリスクを小さくすることができます。
この論点においても、収入が少ない人、つまりは社会的に立場の弱い人の方が、転職からの安定したキャリア継続が難しいというのが一般的かと思われます。前述したジェネラリストのくだりもそうなのですが、「夫婦の収入を比較して安い方が休む」ことが意外とリスクが大きいというのが、これら論点から分かることだと思います。
なお、転職に付随する論点として挙げたいのは、『H.物理的出社が不要なキャリアかどうか』です。IT系やコンサル系を中心として、出社自体は不要で、やり取りはメールや電話、オンライン会議やクラウド経由でこなせればよい職種が存在します。
こういったキャリアを積み重ねてきた人の場合、いざというときは自宅で育児をしながらリモートで仕事をしたり、退職して細々と小遣い稼ぎ(小遣い稼ぎと言いつつ退職前より遥かに多く稼げる人もいる)に勤しんだり・・・といったことが可能です。育休からの復職でキャリアが傾くリスクが小さくなるため、リモートワーク的な働き方を訓練しておくことで、育休取得を有利に進めることができるように感じます。
(リモートワークを徹底した職場では他の職種でも出社が不要な例もありますが、該当する職場が少ないために、今はスキルセット依存というよりかは職場依存になるので、議論からは割愛します。)
逆に、例えば工場稼働や店舗運営、インフラ運営などに関わっている人の場合、その時間にその場にいること自体に価値があります。こういったキャリアを積み重ねてきた人の場合は、物理的出社という選択肢がとれなくなった時点で仕事ができなくなってしまいます。こういった『場に依存するキャリア』は、『場に依存しないキャリア』に比べて育休取得が不利になるリスクが大きくなりがちである、というのが私の所感です。
ということで、A~Hの論点を振り返ると、
というのが、『パターン2.夫婦お互いが育休取得したくない場合』における判断の指針になると感じました。
・・・ただし、これら指針の材料は、先天的な資質や、後天的であっても何年もの積み重ねによって形作られるものばかりであり、たかだか1年で容易に変えられるものではない点が大きな問題としてのしかかってきます。一方、結婚も、出産も、計画的に進めるものと言うよりかは運の要素が大きいですし、急転直下で起こりうるものです。ここを狙って準備して成功することは、偶然の所業か、神業と言えるでしょう。
判断の指針としてまとめてみたはいいものの、社会的弱者が不利に扱われる圧力の存在が明るみになり、また、物理的出社の必要性やジェネラリスト/スペシャリストのくだりにみる働き方と育休の相性の問題も見えており、通り一辺倒ではない支援の必要性を感じています。そのため、育児制度の理論的な平等ではなく、実態を鑑みた実効性の平等のための議論が進むべきだと考えています。
お互いが育休を取りたいのに片方は働かざるを得ない・・・という状況もあると思います。書いているだけでも悲しくなります。
しかし、1年以上雇用が継続していて且つ復職が予定されている従業員の育児休業取得を雇用主が拒否することは原則として法律違反であるため、「育休の夫婦同時取得を断念して夫婦どちらに絞るか考える」パターンは意外と少ないです。思いつくところで例を挙げると、
A.夫婦が同じ職場で働いており、同時休業すると労働力が足りなくなるからと会社から強烈な圧力が降ってくる。
B.給与が育児休業給付金に切り替わる(給与の67%に減る)と、育児休業中に貯金が底を尽きるぐらい懐具合が心許ない。
C.育児休業給付金が支給されるまでの2ヶ月ほどの間に貯金が底を尽きるぐらい懐具合が心許ない。
なんというか、Aは法律違反になるのはさておき、職場環境が不遇すぎます。たぶん「一度退職したらせっかくの勤続が・・・」なんておっしゃる方もいると思いますが、育休からの復職後も育児と外働きのバランス取りに苦心しそうなので、よほどのことがない限りは早々に退職する方が良いように感じます。
そしてBとCは両方ともお金の話です。なんだかんだ給与の67%はもらえて保険料が免除されたりするので、育休中に貯金が増えはしないけど減りもしない家庭は意外と多いのではないかと勝手に思っていますが、貯金残高が少ないと中期的にB、とても少ないと短期的にCが起こるのは事実です。
こういった家庭の場合、夫婦ともに平均的な所得以下であることがほとんどであると思われ、手段を選んでいる余裕がないように思われます。その行く先は、冒頭に掲げた「夫婦の収入を比較して安い方が休む」です。
ここで考えたいのは、夫婦の希望を満たす方法は、他になんとか見出せないのだろうか、ということです。つまり、ダブル育休を目指すにはどうしたらよいだろうか、という問いに答えることです。
もちろん妊娠発覚した後に動き始めるのには限界があるので、ここで重要なのは妊娠を考え始める段階です。この段階で、『もし子供を授かって出産することになったら育児をどうするか、育児休業を取るかどうか』を夫婦で話し合い、「二人で育休を取りたい、でも貯金が心許ない」と気付いたら、即座に対策に移るのです。期間が長く取れれば、パターン2で言及したような論点を参考にしつつ、育休に有利な自分に成長することで、解決できる可能性は上がるでしょう。
・・・とはいえ、そもそもの話、パターン2で既に『社会的弱者が不利になりがちな環境圧力』が明らかになっているわけで、「多少事前に動こうとしたところで、どうせ無理だよ…」という声がどこからともなく聞こえてきそうですし、色々考える前に妊娠することもあるでしょうし、時間をかけて対策しようとして妊娠・出産の時宜を逸してしまうと元も子もない点も、やはり忘れてはいけないものだと感じます。。
このパターン3が示唆するのは、パターン2で言及した『社会的弱者が不利になりがちな環境圧力』の深刻さであり、現在の育児休業制度では到底救い切れない人たちが存在する現状だと思います。パターン2の最後でも述べたことですが、改めて、『実態を鑑みた実効性の平等のための議論』の必要性を強く感じる次第です。(これは保育園全入問題と双璧をなす問題とすら思います。。)
なお、直接言及されることは少ないような気はするのですが、この論点は社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)と同一ないし類似の課題であると考えていまして、社会的包摂の戦略と実績から学べることは非常に多いのではないかとも考えています。
ということで、『夫婦どちらが育休を取るべきか』という論点を、3つのパターンに沿って考えてみました。改めてここに要約を載せると、
パターン1.夫婦お互いの希望が通る場合
パターン2.夫婦お互いが育休取得したくない場合
パターン3.ダブル育休が不可能である場合
といったところでしょうか。正直、育児を取り巻く現状は難しいものであることに変わりはないですが、
特定の手段を理想と称して押し付けるのではなく、あくまで一つの手段として良いところと悪いところを並べた上で、『どんな状況なら良いところが強く出るから推奨で、どんな状況なら悪いところが強く出るから非推奨なのか』を考える過程を共有することで、これを読んだ人が自らの状況に当てはめて考える一助となれば、幸いです。
と序盤に述べたように、この文章が、どこかの誰かが育児を考えるヒントとなり、そして議論が生まれる元となれば、幸いです。