人に何かを伝えるのは大変です。
自分が言いたいことを思いのままに喋っても、相手にとってみれば何を言っているのか分からないという事態はよくあるわけですが、『頑張った、けど、相手の理解力が足りなかったんだ』なんて口が裂けても言ってはいけないわけです。コミュニケーションは双方向なんですから、明るい未来に向かって一緒に進むことを目指すのであれば、恊働という姿勢でもって対峙して最終的に共通認識を持てるようになることが大切です。主語は「私」ではなく「私たち」。動詞は「伝える」ではなく「共通認識を持つ」。だから大変なのです。
あくまで他人は他人。自分が知っていること全てを相手が知っているわけではないし、自分がものを見ているように相手も見ているわけでもないのです。自分が当然と思う論理が相手にとっては飛躍しすぎているように感じることもあるし、ましてや『言わなくても分かるだろ?』なんて姿勢は論外なわけです。
『人は分かり合えないものである』とは私が日々のコミュニケーションの前提にしているルールなわけですが、その意図は、コミュニケーションが相手あってのものであるがゆえにコントロールできない部分が絶対に出てくるわけで、どんなに独りよがりに努力しても手を抜くことはできない点にあったりします。他人様怖い。ほんと怖い。こうやって書いていると自分自身が対人恐怖症に陥ってしまいそうです。
とはいえ『伝える』には世間一般に色々な武器があるわけで、タイトルに掲げた『コンクルージョン・カムズ・ファースト』は最も基本的かつ強力なツールとして巷でも重宝がられている感があります。
このコンクルージョン・カムズ・ファーストは、英語では Conclusion comes first と書きまして、よくCCFなんて略されたりしますが、要は『最初に結論』を言おうという心がけのことを指すのです。言いたいことを最初に言うのが結局一番伝わるんですという身も蓋もない理論なわけですが、最初に言うがために言いたいことをシンプルに洗練させること、そしてその結論を最後に繰り返してコミュニケーションを終えることで、強力に相手にメッセージを届ける手法なのです。
この投稿ではビジネスの文脈で書いていますが、思えばCCFに初めて出会ったのは大学時代でディベートに一瞬足を踏み入れたときなわけで、あの頃は今ほど深くCCFについて考えていなかったなぁと感慨深く感じる個人的な思い出のワードなのでした。
そして本題。
強力なツールであるこのCCFがその強力さを発揮するには、ちゃんと結論を言っているかの確認が非常に重要なのです。結論になっていなかったら全然効果がないのですが、結論になっているかの差異が微妙で今でもうっかり忘れてしまいがちなので、細心の注意を払いながら使っているツールなのです。
たぶん何のことを言っているか意味不明な人がいると思うので具体的に3つ書いてみます。
抽象的な話に戻すと、この『ちゃんと結論になっている』の意味するところは『AはBである』という形式で表現される文章であるということであって、論理学の言葉を借りるなら真偽を問える『命題になっている』という言葉に尽きるのです。CCFになっているものは、
という風に、直接話法か、もしくは間接話法でも引用句が命題になっています。なのでCCFとして機能して、結論を相手にそのまま届けることが出来るのです。
逆にCCFではないというのは何が悪いかというと、「〜を話します」とか「〜を紹介します」とか「〜を伝えます」みたいに間接話法で話しているのに、引用句の中が『AはBである』のような命題になっていないのです。例えば
のように、Bの部分がないのです。日本語は、間接話法で書くと、中身が命題でなくても文章として成立してしまうので、こういった問題が発生しがちなのが厄介なのです。
なので普段CCFが機能するように気をつけているところで言うと、まず直接話法を積極的に使うようにしています。それと、もし間接話法を使うときには引用句の中がちゃんと命題になっているか、つまり『AはBである』要素を内包しているかを要チェックするようにしています。
そこまで考えれば、最初に結論を言って、その結論を最後に繰り返すだけで、かなり締まりの良いプレゼンテーションになります。そして、その結論というメッセージが相手に強烈に届くのです。
でもなんというか、最終的に共通認識が持てるかどうかは、それ以外の不特定多数の要素によるので何とも言えないですが・・・苦笑
いやホント、人に何かを伝えるのは大変です。
追伸:具体例に挙げた棚倉町は人の良さが売りの町。写真はゴールデンウィークの棚倉城跡です。のんびりした平均的な田舎町なので、機会があったら是非遊びに行ってみてください。