いい写真ってなんだろうか。
確固たる自信の考えがなかったら何か見えないものに押しつぶされそうなので、ただひたすら考えてみる。
ひたすら考えてみると、「いい写真」を具現化しそうな言葉が出てきた一方で、「いい写真」の条件に混じって「悪くない写真」の条件があるんじゃないかと思えたので書いてみる。
アートとして最低限満たしておくべき条件。感動を生む要因というよりも、満たしていなかったら見た人に違和感を感じさせる要因。(意図的に条件をはずすのも、またアートとしてはありうる)
人の心を動かすための条件。「悪くない写真」の条件を満たしたうえで、その写真が見た人にどういう影響を与えるのかという、アートとしての根幹。
「悪くない写真」の条件は、一見たいした条件は並んでいないようだけど、意外と全部満たすのは難しい。過去の写真を見ると変に斜めなものは多いので、最近は厳密な水平を意識するようになった。朝日や夕日の写真では、ゴーストのフレームアウトを考慮するようになった。きたる8K時代を視野にいれてISO100の低シャッタースピードを心がけるようになった。挙げると切りがないが、最近力をいれていたのは、「悪くない写真」を目指すことだった気がする。
一方、「いい写真」の条件も思い付いたものを羅列していったけれど、なかなか腑に落ちない。MECE感がない。非常に抽象的。再現性に欠ける。答えのないマーケティング議論をしているようだ。
・・・そっか、マーケティングか。マーケティングコミュニケーションあたりの理論、取り組みを応用すると、なにか思考の突破口はあるんだろうか。
これは太陽という難しい被写体に対して「悪くない写真」の条件を丁寧に満たしていった作品だ。ゴーストもほとんどをフレームアウトしたので、細かく見ればないわけではないが、なかなか気にならないレベルにまで仕上げた1枚だ。
鶴見のシンボル、鶴見川に、引っ越してから初めて撮影に来た。鶴見川は川幅が狭いからか、夕日を撮るなら近場の多摩川に負けていた感があったものの、ここ、鷹野大橋周辺は違った。川の流れが北東から南東に蛇行しており、朝日も夕日も川面に沈む絶好の撮影スポットだった。
昔鶴見に住んでいた時は、来たことが無かった。
せっかく鶴見に戻ってきたので、太陽を追いかけてきたフォトグラファーとしては、鶴見朝日三景、鶴見夕日三景ぐらいは作りたい。作った暁には、朝日三景、夕日三景の両方に、鷹野大橋がランクインするんじゃないだろうか。そんな期待を込めた1枚だ。
さて、これは、「いい写真」になるのだろうか。
見る人の心に響くのだろうか。
試行錯誤はこれからも続く。