新潟に帰ってきました!
そしてそして、雪景色を訪ねる旅の始まりです!昨日から夜行バスで移動したので、新潟駅に着いたのが今朝の6時。東京では雪なんて滅多に見られないので、少しでも雪のある風景をと思っていました。ということで、夜明け前に駅を出発、歩き始めます。
目的地は鳥屋野潟、新潟駅の南にある大きな潟です。2kmほど歩くと、ちょうど夜明けのタイミングで潟を発見。潟の周囲は8km超。肌寒い中、東の空はオレンジに色づいていました。
湖に着いた後は、反時計回りに歩いて朝焼けを撮るのに良い場所を探しました。道路はよく舗装されていて、歩きやすかったです。最終的には、こんな素敵な場所を発見。道路から雪の積もる地面へと下ります。
期待していたより、雪は少なかったですね。新潟市は今年、何度か大雪が降ったのですが、断続的に降る雨と晴天で解けてしまったようです。写真を見ても、いくらか雪がある程度ですね。
新潟の普段の風景とは違いますが、代わりにこの綺麗な朝焼けが見られて、とても素敵でした。
雪のマクロ写真も何枚か撮りました。草の周りは雨で雪が解けるのが早いみたいですね。
この雪景色、大好きです。綺麗な雪景色ということで、自分の中には具体的なイメージがいくつかあったのですが、そのうちの一つがこれです。雪が優しく波打ち、陽射しが淡いオレンジと青の不思議なコントラストを作り出す。この景色、朝焼けか夕焼けのタイミングしか見られないに違いありません。
ここでも地面に陽射しが照っていました。先ほどの波打つ雪の場所から少し移動すると、木でいっぱいのこの場所を見つけたんです。雪は解けていっているため、雪の白色と落ち葉の茶色のコントラストが楽しめました。
おおお・・・田んぼにゴミが。ポイ捨てダメ、絶対。自然は大切に!
太陽が高く昇り、地面に陽射しがたくさん当たるようになりました。潟周りの半分を歩き終わりそうですね。
鳥屋野潟の南側に到着です!朝焼けの時間は終わり、目の前にはびっくりするような空模様が広がっています!新潟の冬にこんな素敵な天気を見れるのは、本当にとても珍しいです。とてもラッキーですね!
もちろん、鳥屋野潟というくらいなので、鳥もたくさん見つけました。いろいろな種類の鳥がいましたし、鳥の鳴き声もたくさん聞こえましたね。
びっくりしたのがこれ。鳥の足跡も見つけました。こんなにくっきり足跡が残るものだなんて、思ってもみませんでした。すごい出会いですね。
南側で自分に魅力的に写ったのが、この一本松。この町の起源について、石碑に書かれているんです。この投稿の締めくくりとして、テキストを転載します。
清五郎地区の伝承
この集落は、寛永十七年(1640年)に、八人の農民により拓かれた。新発田に移封された領主溝口氏の新田開発に夢を託し、加賀の国大聖寺三谷村細坪を後にした八人は、村の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に至り開墾を始めた。
しばらくして仲間のひとり清五郎が病に倒れた。薬を富山まで求め親身に看病したが、ついに帰らぬ人となる。
皆は夢半ばにして世を去った友を偲び、彼が愛したこの地を『清五郎』と呼ぶことにした。
開墾の苦労は想像を超えていた。鳥屋野潟の水も幾度となく押し寄せる。それでも先人達は助け合い、人力で堤防を築き『清五郎』を守り抜いた。
石碑の建つ場所は、その堤防の名残である。石碑の隣の松は、清五郎川川口の目印に植えられ『一本松』と呼ばれた。芦が囲う潟を霧が覆えば、舟は方向を失う。かすかに見えるこの松を頼りに、救われた人は多い。
舟人が家路を急ぐ頃、佐渡の端に沈む夕日は水面に映えて、満目の水郷は武陵桃源のおもむきを見せていた。この情景は明治の漢詩に、鳥屋野潟八景の一つ『清里の夕照』と謳われた。
我々は、この地を見守り続けた堤防と『一本松』を保存し、先人の努力を称えると共に、助け合いの精神が、いつまでも受け継がれることを願い、歴史の一端を石碑に記した。
平成十九年五月
清五郎地区一本松保存会
財団法人亀田郷地域センター