前回の投稿では、フォトグラフィーを始めた理由を振り返ってみました。というのも、自身を理解するというのがフォトグラフィーの価値を下支えするのに必須だと感じたからです。この場から、ひとつひとつ紐解いて議論していきたいです。
たくさんの人がフォトグラフィーに携わっています。現代アート市場で非常に高額な価格で売買される写真も数少ないながら存在します。ウェディング写真を撮って生計を立てるフォトグラファーもいれば、商業写真を撮って月収を得る人もいます。誰かにとって価値のある写真を撮るからこそ、こういう稼ぎ方ができるわけです。
でも、世界に散らばる写真のほとんどは、職業として撮っているわけではない人たちの手で撮影されているわけです。カメラは主にスマホ。自撮りをしたり、食事の写真を撮ったり、なんでもかんでも写真に収めます。絵画的に綺麗な写真というわけではないかもしれないですが、彼らにとって価値のある写真だから撮られているわけです。
まぁ、なんというか、訳が分からなくて、自分の頭の中が混乱していました。
混乱していたのは、全く違う人たちによって全く違うような使い方がされていて、それでも共通した価値を見出すことなんてできるとは思えなかったんです。でも実際のところ、価値を見出す人がいたわけです。いわゆる芸術写真に価値を見出す人がいる一方で、スマホで撮った写真に価値を見出す人がいたわけです。
絵画的に綺麗な写真を撮るのがフォトグラフィーの価値を高めるのに必須だと考えていたのに、でも、そうでもなかったみたいなんですよね。自分、ただただ混乱してたんです。両者が矛盾しているように見えて、全く納得ができなかったんです。
試行錯誤を続けて数か月、1つの考えに至りました。
フォトグラフィーの価値は、たった1つの要因によって表現されうる - その要因は、対象とする集団の歴史に写真がどうつなげられるか、というシンプルなものです。このメカニズムを、マーケティング業界でよく使われる3Cフレームワークをもとに整理して、モデル化してみました。
念のため補足をすると、このPhotography Value Frameworkはバージョン1です。これから色々なケースにあてはめていって、必要に応じて修正していこうと思っています。
Photography Value Frameworkは非常にマーケティング的で、よくある写真談義に出てくるような撮影テク的なものではないです。そんなこともあって、フォトグラフィーの視覚的要素は全て取り払ってしまっています。
これからの投稿で、このフレームワークについて詳しく議論していく中で、下に載せた写真の価値を表現できるようになれたらいいなと思います。
2016年6月9日 新潟県旧黒崎町にて撮影