突然の報告で恐縮ですが、来月、東京を離れることにしました。
以前から東京を離れようとは思っていたものの、なかなか踏ん切りがつかずに2015年も終わりに近づいてしまいました。
(1) 近所に夕日スポットと朝日スポットがあること、(2) 都心にありながら非常に閑静な住宅街であるうえに駅チカであること、(3) それなりに広いが家賃は控えめであること、(4) コンロが二口以上あること、(5) 友人と会いやすいこと、(6) 仕事場に行きやすいこと等、わがままな要望を書き連ねていった時に絶妙なバランスで条件をクリアしていった場所が、今住んでいるところでした。
細かい条件を出して、それを満たす場所に決めたので、生活はしやすかったです。朝起きて、ご飯を食べて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、寝て、という生活をする分には全く不満がなかったです。
ただ、正直に言うと、今年の春に棚倉町に行ってから考え方が変わってしまったんですよね。愛着の持てない土地に暮らすということに、住むだけの場所に住むということに、なんだか違和感が出てきてしまったんです。
そこまで言わせる棚倉町って、どんな町なんだろうか?
棚倉町は、福島県の南端に位置する小さな町で、栃木県との県境に位置しています。高齢化は進んでいるものの、いわゆる限界集落ではなく、平均的な田舎町です。コンビニや本屋、家電量販店があったり、大企業の工場があったりしつつも、町の至る所に自然が残っています。
特筆すべきは、人の生活にとけ込んだ自然、人の手入れが隠れて見える風景です。
棚倉町、花園のしだれ桜。朝日が昇る前の、霞が木漏れ日を包み込んだ瞬間です。
水田と畑のど真ん中にある桜ですが、綺麗に手入れされていて、春には多くの人で賑わいます。町の人に聞けば誰でも知っているような、町のシンボル的な存在です。運転中、ふと横に目をやると突然現れる巨大な老木は、人々の生活に溶け込む自然のシンボルでもあると思います。
棚倉町、社川地区の水田。青空と緑の田んぼのコントラストが清々しいです。
棚倉町はコシヒカリの産地としても有名で、社川地区では開けた田園風景が続きます。人の手入れが入り、整然と続く田んぼの姿。これは、日本人が自然美を一番感じる風景ではないでしょうか。
棚倉町、棚倉城跡の紅葉。朝霧に輝く赤は、神秘的で格別です。
盆地でもある棚倉町は、気温の下がる朝方に霧が時折発生します。その現象を以て棚倉町を朝霧の町と称したわけですが、とりわけ朝霧に囲まれた棚倉城跡は、もはや神々しさすら感じます。でもこの景色も、町の人たちが城跡の手入れをしているからこそ維持できている風景なのです。
これらの写真は、棚倉町地域おこし協力隊の方々をはじめ、町の人たちの協力があって撮れた作品です。この風景の裏には、町の人たちの日々の努力が隠れています。日々の努力が積み上がり、自然とうまく調和して出来上がった風景です。人だけでもダメですし、自然だけでもダメです。両方あって、共生しているからこそ生まれる風景です。人と繋がる土地の強さを感じました。
愛着を持てる土地に住むということは、人生の中で数少ない、選んで持てる大きな価値なんだと思うようになりました。そう思うと、東京に住み続ける選択肢は、とり続けられるものではありませんでした。
ここで、もう1枚の写真をお見せしたい。
ポジション、アングル、焦点距離、絞り、シャッタースピード、ISO値、ホワイトバランスを、全て計算づくで設定した1枚です。今思えば、自ら掲げるロジカル撮影法の先駆けになった写真ですが、500pxで個人の最高得点をたたき出した写真でもあります。
この写真、実は故郷である鶴見で撮ったものです。まさか、総持寺の片隅でこんな写真が撮れるとは・・・という感じでした。鶴見を離れて東京に移ってから、鶴見に隠れた魅力に写真を通じて気付いたわけです。鶴見には23年間住んでいましたが、住んでいた頃には思ってもみなかったことです。成長すると視点が変わるとは言いますが、フォトグラフィーを通じて見えた世界は、当時とは全く違うものになっているんだと思います。
今思い至ったのは、自分が生まれ育った鶴見にもう一度戻り、まだ見ぬ魅力を掘り起こしたいということ。長い人生のうちの1年を使って、チャレンジしてみたいと思います。そのために、東京を離れ、鶴見に引っ越すことを決めました。距離にしたら大きな引っ越しではないけれど、生まれ故郷である鶴見に戻るということが、自分にとって大きな意味があるんです。
引っ越しは、年明け早々です。
地域に根付いた活動も仕掛けていくので、皆さん宜しくお願いします!