一人十郷 - Takumi Nasuno Photography
言語
2017/06/08
多言語ブログを書いていると言葉の意図に過敏になるという話

 

英語と日本語でこのブログを書き始めてから3年半、そして"多言語で同じブログ内容を書き続ける7つの理由 【多言語ブログ】"というタイトルの投稿を書いてから1年半が経ちました。今ようやく、多言語ブログを書くことのインパクトを考えてみるときなのかなと思います。

 

言葉の意図に過敏になる効果

日本語の一つの言葉は、英語の一つの言葉には簡単に訳せません。それは考慮するべき文脈があるからというわけではなく、それぞれ言葉の意味する領域が、他の言語の代替語と少しずれてしまうからです。

 

例えば、地域おこしの直訳は、local revitalization、rural revitalization、そしてregional revitalizationが考えられます。論点は、local、rural、regionalの中から最適な言葉を選ぶこと。私が選んだのはlocal。というのも、localは比較的小さなエリアを意味し、また人口の少ないエリアに限定するような意味も無いからです。

そこで次の論点は、local revitalizationの日本語訳は何かということ。実際のところ、local revitalizationの日本語訳としては、地域おこし、地方創生、地域創生など、いくつかあります。そしてもしかしたら、町おこしや村おこしも思い浮かぶかもしれません。

最初に、町おこしや村おこしは、自治体の特定の大きさを想起させるため、候補から外しました。最終的には地方創生と地域創生も外したのですが、それは2つが何も無いところから新しいものを創造するような印象を感じたからです。revitalizationという言葉は、何か生きているものに、活力を与えるようなアクションであるべきだと思うのです。

こんなこともあり、地域おこしとlocal revitalizationは、特に文脈を考慮しないときは必要十分な関係にあると思うのです。でも実を言うと、地域おこしは人間一人一人のアクションの意味合いが強く聞こえる一方で、local revitalizationはそのあたりが中性的だと感じたりはしますが。。

 

そんな微妙な違いを、書くとき、話すとき、そして考えるときにも気にする癖をつけていたら、言葉の意図(定義というよりは意図)に過敏になったような気がします。それに複雑なイシューを整理するスキルも鍛えられたようです。これは、日本語単体や英語単体ではできなかったことであって、ベースとなる文字、単語、文法、使用法、文化が全く異なる2言語両方だったからこそ可能なのかなと思います。

これは、いくらAIが発達して自動翻訳ができていったとしても、人間が代替されない要素として残る根本理由であるような気がします。翻訳は言葉の解釈であって、アート的な要素がある気がします。

 

おまけの話

加えて興味深かったのは、考え始めるときに言語を一つ選ぶ点。というのも、英語で考え始めるとロジカルなストーリーに整理しやすく、日本語で考え始めると微妙なニュアンス豊かなフレーズを紡ぎやすいという特長を感じているからです。感覚としては、英語はテキスト全域的に有効で、日本語はテキスト局所的に有効な感じです。これを説明するのは、ちょっと時間がかかりそうですが。

ブログカテゴリ